第22話「ツールとスキルからはじまる可能性」

もうそろそろ田植えね。
はじめてだけど、うまくいくかしら。

やってみないとわからないけど、なんとかなるんじゃないかな。

ところで、これはなに?

それは田んぼの代かき用のトンボだよ。
これで、田んぼの凸凹になってる部分を均すんだ。

ふーん。
どんどんモノが増えていくわね。
それってエコなの?

比較的簡単に作れるものだし、単純な道具はエネルギーを使わずに長く使える。
問題ないと思うよ。(中古品で、そんなに高くなかったし・・・)

それより、田舎で暮らそうとした時、こういった道具は、一つのコミュニケーションツールになるし、自分の居場所を生み出すために必要なものでもある。

どういうこと?

なんていうか、田舎にいると、道具とそれを扱うスキルによって、自分の存在・自分の見えない領域が増えたり減ったりする気がするんだよ。

といっても、都市におけるテリトリーのように、お互い奪い合うような領域というよりは、お互いに支え合うクッションのようなもので、それが増えれば増えるほど、より周りに貢献することができる

その「みんなで補い合うような領域」が道具とスキルによって少しずつ増やせる気がするんだ。

別に、それがなくても大丈夫だけど、周りに支えてもらうばかりだと恐縮してしまうからね。ある程度は、あった方が気は楽かもしれない。

そうなの?
それって、プレッシャーに感じて地方で暮らすことを躊躇させることにならないかしら?

そんなおおげさに考えなくても大丈夫。

鎌と移植ゴテ(スコップ)くらいあれば、十分役割は担えるよ。
スキルや道具は少しずつ補っていけば問題ない。
というか、自分の世界が広がっていく(*1)のが楽しくて、勝手に道具が増えていってしまうんだけど・・・

ここで、都市と田舎の領域の性質の違いを、サービスツール(道具)という言葉で捉えてみようと思う。

都市部なんかでは、領域は奪い合うテリトリーになりがちだ。
その時、不足しているものは、サービスとして、取り込む必要が出てくる。多くの場合は金銭を介してね。

都市は、ツールとスキルを外部化・専門化してサービスに変換しながら出来たものだ。
つまり、多くの人がツールとスキルを手放して、サービスを受け入れることで豊かと言われている生活を成立させてきたんだ。

これも近代的な分断の思想によるものだね。

一方、田舎では、サービスでは補えない領域は、自分たちのツールとスキルを出し合って補い合う必要がある

面倒なこともあるかもしれないけれども、これは決してネガティブなことじゃない。

だって、田舎には資源が豊富にあるから、ツールとスキルが手に入れば、そもそも必要なサービスは減っていくし、そこにはリアリティのもとになる遊びの余地(*2)がたくさんあるんだからね。

この「みんなで補い合うような領域」はテリトリーに対してはコモンズ(*3)と呼ぶのが近いかもしれない。

ツールとスキルのコモンズも悪くないってこと?

でも、やっぱり、自分のスキルに自信がなくて、田舎に行けない人もいると思うわ。

それに、こないだ、事務所のご近所さんと話をしたら、あの辺の田んぼも、高齢で維持できない人が増えてるらしいわよ。

ツールやスキルがあっても、歳をとってそれを発揮できなくなったら、空白ができて問題になるんじゃない?

確かにそうだね。

そうなると、僕が一目惚れしたこの風景も危うくなるね。

若い人が、入ってこれるようにするのはどうかしら?
案外、そういう生活をしてみたいと言う人は多いかもしれないわよ。

そうかもしれない。

僕も、毎日事務所まで、30分ほど掛けて往復してるんだし、都会から、週末だけ田舎にやってきて風景を維持する、っていうあり方もあるかもしれないね。

その先に移住があったっていいんだし。

例えば、そういうことをしてみたいグループを募って、空いている民家と農地を、グループの人たちに貸し出すっていうこともできるかもしれないわね。

一人じゃ面倒なことでも、仲の良いグループなら楽しみに変わるんじゃないかしら。
農地でとれた野菜で、そのまま民家でバーベキュー、なんて楽しそうじゃない?

なるほど。
その時に、ツールやスキルがネックになるといけないね。

やってみて分かったんだけど、畑は何とかなっても、田んぼを維持しようとすれば、小さな範囲に絞るか、トラクターなんかの大きな機械を利用するか、どっちかになりがち。つまりそれなりのツールが必要な場合も多い。
あとは、必要なスキルを教えてもらえる環境もないと不安だしね。

そういう、ツールとスキルのやりとりは、コミュニケーションのきっかけになるし、それらを補える、いい仕組みがあるといいね。
高齢者で、自分ではあまり出来なくても、ツールは持ってるし、スキルを伝えることならできる人って、結構いると思うし。

地方の生活と風景を守ることにつながるのなら、行政もひとカミしてくれるといいのになぁ。

それなら、地域の不動産や島の生活を守る、家守(やもり)とか島守(しまもり)という言葉があるから、田守(タモリ)制度っていうのはどうかな?

えっ、タモリでなんかドヤ顔してるみたいだけど、そうくるなら、そこは田守倶楽部じゃないの?

田守って言葉は昔からあるみたいだし。

・・・・・・

行政が関わるかどうかは別にしても、そういう仕組みの部分はサービスとして一部あってもいいかもしれない。

ツールとサービスの併用は過渡期にはありえる考えかも。

当然、体験としてはツールを主軸にしないと、価値も魅力も半減すると思うけどね。

こういう案はよくあるものかもだけど、もし実現させるとしたら、そういう価値と魅力を引き出して知ってもらうことが、何より重要だし、もともと住んでいる人との接点を無理なくどうつくるか、っていうのも重要だね。

もしかしたら、あなたが田舎に毎日遊びに行っていることにも、意味があるのかも!

地方の空き家や遊休農地の問題も少しくらいは解決に向かうかもしれないわね。

(遊びに行っているわけじゃないんだけどなー・・・まー、同じことか。)

わざわざ、通っている僕からしたら、空き家も農地も、まさに可能性の塊、宝物なんだけどな。

それにどうやら、ツールとスキルを手放してしまった結果「自分の能力を持て余してしまって、その退屈に耐えられなくなる」というのが、人類が定住し始めてからの永遠の悩み(*4)みたいなんだよ。

ツールとスキルを軸とした田舎の生活は、そんな悩みから抜け出すにはうってつけだし、うまく引き出せば絶対需要があると思うよ。
なんたって、人類永遠の課題なんだから。

ちなみに、僕にはそんな悩みはひとつもない。やりたいことが多すぎて、自分の能力はいつも不足してるから、退屈とは無縁だよ。

道具が自分の世界と、環境との関わり方を変えてしまう
これは経験してみないと分からないことかもしれません。

しかし、この環境との関わり方を変える作用は、これからの時代、なくてはならないものだと思います。

その可能性は、田舎の民家や農地の中に転がっていると思いますし、かなり贅沢な選択肢がそこにあると思うのですが、それを実際の行動につながるほど感じてもらうのは簡単ではないようにも思います。(今回のストーリーは少し楽観的に書きすぎたかもしれません。)

とはいえ、個人的には、まだまだ自分自身が実践を通じて実感を掴んでいく段階。
ぼちぼちやっていきたいと思います。

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