第6話「遊ぶようにつくる?」

ちょっとちょっとー。
事務所のホームページをみたら、今年のテーマは“遊ぶように生き、遊ぶようにつくる”って書いてるの見たわよ。

それもいいと思うけど、子どももまだまだ大変なのよ。

ぐぬぬ・・・。
た、たしかに“遊ぶように生き、遊ぶようにつくる”が去年からのテーマなんだけど、そ、そういう意味じゃないんだ・・・

そんなこと言って・・・・
分かるように説明してちょうだいっ

なかなか説明が難しいんだけど・・・・
がんばって説明してみるよ・・・・

デカルトと「分断と転嫁の思想」の話は前にしたよね。

うん。
まだ、はっきりとは分からないけれど。

ようするに、人間と自然を分けて、さらに、その自然を細かく分割して分析しよう、ってことなんだけど、それは、仕事も含めて、いろんなことが専門化・ブラックボックス化されていくことでもあるんだ。

身の回りのあらゆるものが、細かく分割されて、専門化されているので、ひとつひとつのことは、普通の人には分からない世界になりつつある。

そうかも知れないわね。

特に都市部の生活がそうだね。

例えば、今日の料理の材料が、どこでどうやってつくられて、どうやってここまで来たか、電気はどうやって届くのか、トイレのあとの水はどうなってしまうのか、そのスマホだって、鉛筆だってどうやってつくられたのか、何も分からない。

だけど、それらは何も考えなくても利用できるし、何も知らなくても生きていける、とても便利な世の中だ。

あら、いいことじゃない。

そういいことだ。

だけど、逆に言えば、何もしらないまま生きていかなくちゃいけない、ということでもあって、それが、生きていることの実感・リアリティを感じにくくさせているんじゃないかと僕は思っている。

その、「こまかく分割されてよく分からないもの」に囲われた、便利で不安な世界が今なんだよ。

そういうものなのかしら・・・
でも、それと遊ぶこととどう関係があるの?

さっきも言ったように、本来楽しくて、生きていくのに必要な「知る」ということを知らないまま生きていけるのが現代社会なんだ。

今の、息子たちを見てどう思う?

なんか、ぼーっとして、何を考えているのかわからないわね。

だよね。
でも、それは僕たち大人のせいなんじゃないか、と思うんだよ。

だって、身の回りのことを知るという経験をさせずに、机の上の勉強ばかりさせているんだからね。これは、自分自身にも言えることで、自分は知らないことをそのままにして生きてていいのかな、とふと思ったんだよ。まずは、子どもたちのことを言う前に。

ふーん。
それで、遊びはどうしたの?

それが、大人になるにつれて、いろんなことを知った気になってしまうし、知らなくても生きていける社会になってしまっているものだから、「遊ぶこと=世界を知ろうとすること」を忘れてしまっていると思うんだ。

それが、環境問題の根っこに・・・・という話は今日は置いといて。
大人はその世界を子どもに押し付けることで、子どもの遊ぶ機会=世界を知ろうとする機会を奪ってしまっていると思うんだ。

ふんふん。

こまかく分割されてよく分からなくなってしまった世界のパーツを、ひとつひとつ知ろうとして、自分の分かるものに変える試み、これを僕は“遊び”と呼ぶことにしてるんだ。

“遊び”といっても本当に遊ぶことじゃなくて、そういう姿勢のことを言ってるだけなんだよ。

そして、まずは自分がいろいろなことを知ろうとする態度を子どもたちに見せないといけないと思う。

できれば、そんな知ろうとする機会を子どもたちに与えられたら、と思うんだけど、上の子はもう一緒には遊んでくれないかもね。でも、将来、父親の姿を思い出して何かの力になる日が来ると思うんだよ。

つまりあなたは、子どものために一生懸命遊んでいるって言いたいわけね。

そうなんだ!

そして、今新しくはじめようとしていることは、遊ぶ姿勢=世界を知ろうとする姿勢がなければ、うまくいかないと思ってて、仕事のためでもあるんだよ。

それが“遊ぶようにつくる”だね。それに、遊ぶことはそんなに簡単なことじゃなくて、一生懸命やらないとできないんだ。新しい事務所の近所に「遊ぶこと=世界を知ろうとすること」の達人(*1)が住んでいてね。その人についていくのに毎日必死なんだよ。

知ってるわよ。
いつも二人して遊んでばかり・・・・・
(あー、なんかうまく丸め込まれたような・・・・)

かなり脚色をしていますが、三分の一ほどは実話です・・・

子どもたちに何を残してあげられるか

これは、職業人としても父親としても大きなテーマです。

私の子ども時代も、それ以前と比べれば、いろいろな機会を失っていた世代だと思います。

それでも、現代の子どもたちに比べれば、はるかにたくさんの機会に恵まれていたと思うのです。

それを、次の世代に受け渡すことは、大人としての最低限の責任だと私は思うわけです。

しかし、自分を一人の父親として振り返ると、あまりできていたとは言えない。今からでも遅くないので、これはどうにかしなければ。

そんなことも、事務所を移転した理由の一つです。

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