【レポート】ひおき未来探検隊と田植え(後編)

田植えをやってみた

昨日、6月23日(日)は、初めての田植えだったね。

田植え機を使うとすぐに終わると思ったけれども、思ったより時間がかかったわね。

そうなんだ。

というのも、実際にやりながら、いろいろ気づいたり、考えが変わることがあったからね。

これが、最初に書いた手順のイメージ。

田植え機で植えるエリアと、手植えとお子様の体験のエリアを分けるイメージだね。

とりあえず、大人の何人かで、田植え機を使って、8割ほどのエリアを効率よく進めていく。
残りのエリアは子どもたちがちょっとした体験ができればいいや、くらいに思っていたんだ。(手植えをサポートする技術も人手もなかったからね。)

今思えば、このスタートラインから何か間違ってたね。

この日は、ご近所のテンダーさん家族と、前日、探検隊の隊長を務めた味園さん(以後ミソップ)家族が参加してくれた。

それで、ミソップには田植え機を手伝ってもらって、交代でどんどん進めようとしたんだ。

▲田植え機を操作するミソップ。僕よりすぐに上手になった。

テンダーさんは田植え機は特に使わなくて良さそうだったので、手植えをお願いすることに。

▲黙々と何かを確かめるように手植えを進めるテンダーさん。

でも、しばらくしたら、あれっ、これは何か違うぞ、という気がしたんだ。

みんな、それぞれで作業をしているし、子どもたちも手持ち無沙汰であんまり楽しそうじゃない。

そもそも、効率よく作業をするだけなら、別の日に田植え機で一人でやっても問題なかったんだけど、自分は何をしたかったんだっけ?と。

そうね。私もそんな感じがしたわ。

それで、田植え機はいつでもできるから、一旦止めて、手植えの方をみんなでやることにしたんだ。

そしたら、急に会話や笑いが生まれたよね。

また、田植え機は、人の足跡があると、そこで空転しちゃうので、田んぼは一部を除いて歩いちゃいけないことにしてたんだ。
だけど、手植えなら、穴があってもその都度対応できるし、田植え機が空転したって、後で補植すればいいや、と思い直した。

それで、田んぼを子どもたちに開放したら、それまで、田んぼの感触が気持ち悪いと言ってた子も、とたんに元気に遊びだした。

道具が人の連帯を阻害する

そこで、やっと分かったんだ。

田植え機(と言っても手押しの古い型だけど)は効率を優先したもので、効率以外のものを遠ざけてしまうんだと。

(この辺はテンダーさんの話で気づいたんだけど)エンジンを搭載した重い機械は、危険を伴うから、子どもを遠ざけるし、その機能の制約から、田んぼの中を歩くことも拒否する。

確かに、初めて田植え機を操作することはそれなりに、面白いんだけど、向き合う対象は機械に絞られる。操作に集中することを求められるし、音もするから周りとのコミュニケーションもなくなる。

やりながら気づいたんだけど、初めは、好奇心から楽しく操作してても、しばらくして慣れてくると、だんだんしかめ面をしながら操作するようになる。(そう言えば、大きな機械を、笑顔で楽しそうに操作してる人はあんまりいないよね)

つまり、大きな機械は、人の連帯を阻害する

目的に対して適切な道具というものがあるはずで、そういうことに対する感覚は、かなり重要だ、ということに気づいたんだ。

もしかしたら、農地が遊休化する原因の一つに、道具が効率化したことで、皆でやることの意味が失われたことがあるかもしれない。効率化には遊休化を食い止める面もあると思うので、それとは真逆の意見だけれども、一考してみる価値はあると思うよ。いくら効率化しても、動機そのものがなくなれば意味がないからね。

最初僕は、この日のために買った、田植え用の長靴を履いていたんだ。

だけど、一人だけ履いているのも浮いてる感じがするし、これを履いていることで、田んぼにダイブすることを躊躇していたので、すぐに脱いじゃったよ。結局、ダイブするのは我慢したけどね。

長靴一つとっても、何かの可能性を遠ざける。これは重要な視点だね。

あら、あなたが真っ先にダイブすると思っていたわ。

そのつもりだったんだけど、長靴と田植え機のせいで躊躇しちゃったよ。(ダイブすれば長靴の中に泥が入るし、どろんこになってから、田植え機を操作するイメージが沸かなかったから。)

不本意なので、来年は真っ先にダイブすることをここに誓うよ。

そんなこと、誓わなくていいわよ・・・

テンダーさんは、結局最後まで手伝ってくれたんだけど、終わってから、僕が「やってみたら、いろいろ分かることがありましたね。」と言ったら、こんな感じことを言っていたよ。(多少ニュアンス違いがあるかもだけど)

昔の手道具と、動力を搭載した道具の間には大きな空白、つまり改良する余地が残っている。
例えば、田植え機の機能は、爪で苗を掻き取って植えつけるという単純なものだけど、エンジンを搭載することで大型化して危険なものになってしまった。

これが、例えば、田舟のようなものにペダルが付いていて、ペダルを漕ぐと苗を植える機構が動くとする。ペダルを漕ぐ人と舟を押す人の二人で作業したら、危なくないし楽しそうじゃない? と。

こういう、手道具と動力機械の間の余白の話は、何度かテンダーさんから聞いたことがあったけど、今回、体験が先にあったので、すごく腑に落ちたよ。

さすが、テンダーさんね。楽しそうなイメージがパッと浮かんだわ。

流石だよね。信念が根っこにあるから、ちょっとした発言でも、学べることがいっぱいあるよ。

今回の気付きは、動力化した大きな、もしくは危険な機械・道具は、人の連帯を阻害することがある、ってことだけど、裏を返せば、道具のあり方を見直せば、人の連帯を生み出せるかもしれない、ってことでもある。

これって、探検隊で見た棚田の問題に対する大きなヒントにならないかな?

そうね。
視点を変えることの意味が少し分かった気がするわ。

まー、そんなこんなで、なんとか田植えができて、ホッとしたよ。

なんだかんだ言って、田植え機のお陰で植え終えられたというのもあるし、状況によって道具を選ぶことが大切なのかもね。

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