前回の続きっすけど、「21世紀の民家」ってどういうものっすか?
むかし、ちょうど僕が生まれた年に、多木浩二という建築評論家が「生きられた家」という有名な本を書いたんだけど、僕はこれを「僕らがこの世界に生きている」というリアリティを建築にどう宿らせるか、について考察したものと捉えているんだ。
リアリティっすか?
そう。リアリティというものは捉えにくいもので、リアリティを計画によって生み出そうとしてもなかなか難しい。
単純に形をつくろうとすればするほど、逆にリアリティから遠ざかってしまいがちなんだ。
ここで、多木は古い民家の中にそのヒントを見出そうとした。
民家って、なんか独特の雰囲気を感じるっすもんね。
そうだね。
多木はそこに「「家」とそれが現実化する文脈との均衡した構造」(*1)もしくは「住むことと建てることが同一化される構造」(*2)を見出したんだ。
2つは同じことだとも言えるけれども、ここでは特に前者について考えてみたい。
「家」とそれが現実化する文脈との均衡した構造・・・・・すか???
つまり「家のつくられかた」の問題だね。
現代では、多くの住宅が商品として存在している。家をつくることのほとんどが、商品化されたものを配列する作業になっているのは、ニキさんも知っての通り。
それを誰も民家とは呼ばないけれども、それは何か民家のエッセンスが抜け落ちていることを人が感じ取っているからなんじゃないかな。
うちは手仕事が多い方っすけど、確かに既製品は多いし、職人さんの出番も減ってるっす。
でも、昔は、身近なところに存在する材料を調達して家をつくっていたし、地域の人が協力して作業にあたることも多かった。
つまり、家ができあがる文脈、言い換えると誰が何を使ってどうやってつくるか、が身近に感じられるところにあって、それが家そのものと強く結びついていたんだ。
それがリアリティにつながっていたと僕は考えている。
なんとなく、分かるっす。
というか、何かこの話って、ターマさんに話したっていう専門化とブラックボックス化の話と結びつきそうっすね。
まわりのひとつひとつが、普通の人には分からない世界なりつつあるっていう。
そうなんだ!
『「こまかく分割されてよく分からないもの」に囲われた、便利で不安な世界』。
現代の住宅の多くはこの世界観でつくられているから、リアリティを感じにくい=不安を感じるといえるかもしれない。
うーん、分かってきた気がするっす。
じゃー、どうすればいいんすっかね?
それは、「誰が何を使ってどうやってつくるか」を丁寧に身近なところに引き寄せていくことだと思うんだ。
といっても、昔と今では時代が違うので、昔の民家と同じことをすればいいというわけでもない。現代社会の身近にある文脈の中から「誰がつくるか」「何を使うか」「どうやってつくるか」を立ち止まってしっかり考えることだと思うんだよ。(*3)
そのために、それを見つけ出す目や実現させる手を養うことが大切になると思う。
なかなか難しそうっすね。
すぐにはイメージできないっす。
そうでない世界観のものづくりが当たり前になっているから、すぐには難しいと思いますよ。
でも、こうやってリアリティを引き寄せるというのは、子どもたちの育つ環境を考えても、とても重要だと思うんだ。
ターマさんに力説したそうっすもんね。
ところで、「21世紀の民家」って結局どういうものっすか。
これまでの話をまとめると、多木のいう民家の持つ構造を現代において考えたもの。
つまり、リアリティを引き寄せるために、「誰がつくるか」「何を使うか」「どうやってつくるか」を立ち止まってしっかり考えた家、と言えるかも知れないね。
そして、前回の民家の工夫の話もここにつながるんだ。だって、民家の工夫というのは(誰が)そこに住む人が、(何を)身近なところにあるエネルギーを、どうやって使うかをしっかり考えた結果だからね。
そういう技術にはリアリティが宿るんじゃないかと僕は思っている。
いやー、オノンさんのこれまでの住宅で、こだわってたところの理由がなんとなく分かった気がしたっす。
よくお客さんと一緒にDIYをしてたのも同じことっすかね?
そうですね。
それに関しては先程の「住むことと建てることが同一化される構造」につながる話なので、またいつかお話しましょう。
「21世紀の民家」についてはまだ考え始めたところなので、一緒に考えていけたらと思ってます。
建築にリアリティを宿らせる。
ちょっと難しい話になってしまいました。
でも、このテーマは私が学生の頃からずっと考え続けていることで、一度建築から離れようとした私にとって建築の世界にとどまるための免罪符のようなものでもあります。
リアリティの話は、つくる立場からするとかなりの難問です。
だけど、使う立場からすると難しい話ではありません。
「なんとなく居心地がいい」と感じるその雰囲気。これだけです。
居心地がいい、ということはすなわち、この場所にいることを肯定されている、と感じていることといえます。
そんな肯定感とともにあるような建築をつくりたい、といつも願っています。