第12話「つくる楽しみをデザインする」

オノンさんー、まいったっす。
最近の工事価格の高騰でうちも大変っすよ。

ですよねー。

それに関して、ちょっと考えていることがあるのですが。

どんなことっすか?

いえ、今までも壁の塗装などはお施主さん家族と一緒にやったりしてましたが、それをもう少し拡げられないかな、と思ってて。

もちろん、お施主さん次第なのでケースバイケースにはなると思うのですが、自分たちでやれる部分を残すような設計が考えられたら、工事費も少しは抑えられるかな、と思うんですよ。

それもありかもですね。
できることは協力するっす。

ありがとうございます。

いわゆるDIYは、工事費削減の他に、実は、前にお話したリアリティとも関連するように思ってまして。

あー、自分でつくれば当然、つくることが身近になるからっすね。

そうなんですよ。

補足すると、DIYは多木浩二が民家に見出したもう一つ。「住むことと建てることが同一化される構造」にアプローチするための一つの方法だと思っていてですね。

どういうことっすか?

ある哲学者が「建てること」は単なる手法ではなく、それ自体が「住まうこと」である、というような事を言っていてですね。(*1)

言い換えると、「建てること」の欠けた「住まうこと」は、本来の「住まうこと」の一部しか実現できない、ということなんだ。

現代のように「建てること」と「住まうこと」が分離した状態は不完全、ということだね。

これは、前に話した、「建てること」を身近に感じられない家はリアリティを感じにくい=不安を感じるということと同じだと捉えています。

そのためには、身近なところからつくることをしっかり考える、ということだったっすね。

そうですね。

それを住むことと建てることを同一化するには、という視点から考えた時、どうやって「建てること」を住まう人に届けて、「住まうこと」へとつなげるか、という問いに置き換えられると思うんだ。

「建てること」を住まう人に届けるんすか?

そう。「建てること」と「住まうこと」が分離したままだと、住まう人は「建てること」をほとんど感じられなくなってしまうからね。リアリティを宿らせるためにも、それをどうにか届けられたらと思うんだ。

そのための方法として①「住まう人が直接的に建てることに参加する」、②「職人さんの技術を通して届ける」、③「設計につくることを埋め込む」の3つがあると思っているんだ。

これは、①施主施工者設計者の3つの立場とも一致しているね。

それぞれどういうことっすか?

「住まう人が直接的に建てることに参加する」はそのままだね。

参加して自分の頭と手をつかうことで、「建てること」がぐっと身近になる。

コストを抑えられたり、技術も身につくのでメンテナンスができるようになる、といったメリットもある。

「職人さんの技術を通して届ける」は、職人さんが住まう人の変わりにつくるわけなんだけど、職人さんの技術によってつくられたものには、その技術自体の背景や歴史、職人さんのこれまでの修練、職人さんの手さばきなど、様々なものが高密度に詰め込まれていると思うんだ。

住まう人が職人さんの「手の跡」を感じ取ることができれば、やはり「建てること」を身近に感じられるようになるんじゃないかな。

これは、住まう人の「手」を職人さんが代わりに担うと言える。

最後に「設計につくることを埋め込む」

設計者が住まう人の代わりに、どういうものを、どうやってつくるかを一生懸命考えるわけなんだけど、この考えたことが、つくられたものに現れると思うんだ。それは、密度高く考えれば考えるほど強く現れるし、密度が低ければ現れないかもしれない。

こうして、住まう人が設計者の「考えた跡」を感じ取ることができれば、「建てること」を身近に感じられるようになると思うんだ。

これは、住まう人の「頭」を設計者が代わりに担うと言える。

関わるみんなで「建てること」を実現するんすね。

そうなんだ。何でもDIYでやるのが一番、というわけでもないと思っていて、状況に合わせて、施主・施工・設計の三者が力を発揮できるような状況ができれば最高だし、そのためにメリハリをつけることも必要だと思う。

これは、つくる楽しみをデザインすること、と言えると思う。

なるほどっす。いろいろ考えてやっていきましょう!

よろしくです。

昔は「結」(*2)といって地域の人達が協力して家をたてるようなシステムがあったんだけど、それを現代のネットワーク技術をつかって実現できないかな、というようなことも考えているよ。

学びと実践を交えた集まりだね。ハードルは高いかもしれないけれども、これも是非やってみたいと思っている。

ウクライナ侵攻やウッドショックを発端とした工事価格の高騰。

これは頭の痛い問題ですが、逆に考えると、つくることを考え直すチャンスでもあります。

DIYは工事価格を抑える手段のひとつと考えられますが、どこまでやるかで効果は異なります。

(時間に余裕があって手が動く方には、思い切ってDIYの割合を増やせるようなメニューも考えたいと思っています。)

それより、DIYを「建てること」を取り戻すための手段と捉えたほうが可能性は拡がるように思いますし、私が今までテーマとしていたことともつながります。

そこに、学びと実践の機会を合わせたネットワークを考えることができれば、より可能性が拡がるでしょう。

これは、いろいろな方の協力をいただきながら是非考えてみたいと思っているところです。

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