そろそろ建築の話になるんすね。
そう思ってる。
前回デカルト的な分断の思想と、それ以前の調和の思想、どちらも必要という話をしたけど、建築で調和を考えるとはどういうことだろうか。そのためにはまず、地球がどういうものか、を考えてみよう。
地球っすか?
実は、地球の生命も含めたほとんどすべての活動の力は、たったひとつのものから生まれている。
それは何か分かるかな。
・・・・・
太陽、じゃないかしら。
そのとおり。
地球上の細胞活動から生態系、大気や海洋の気象現象にいたるまで、すべて、太陽から得たエネルギーを循環させながら最後に宇宙に捨てる、という循環サイクルの中の一部なんだ。(*1)
気象現象は、太陽の熱をもとに、空気や水、その他さまざまなものを循環させる地球のシステムだ。
そして、生命は、植物の光合成と動物の呼吸により、太陽のエネルギーや、炭素、酸素、窒素などの物質を循環させるシステムと言える。これらのシステムはとてもおもしろいので、また別の機会に考えてみたいけれども、これらの循環は受け取ったものを、形を変えて次へ渡す、というリレーによって成り立っている。
その受け取り、次へ渡すというリレーのはたらきとバランスとが、この地球を生命の躍動感にあふれたすばらしいものにしているんだ。
ところが、受け取るだけ受け取って、次へ渡すことを考えない、ルール違反を犯す生物が現れた。
そりゃー、もちろん人間っすよね。
そう。自然のシステムは復元しバランスをとる力も持っているから、簡単には揺らがないけれども、調和や循環を感じることをやめてしまい、成長へと突き動かされる人間の影響力は大きくなりすぎてしまった。
その人間の活動の影響は地質にも刻み込まれるようになったので、地質学者は現代を「人新世(じんしんせい/ひとしんせい)」と呼ぶようになったんだ。(*2)
それもたまに聞く言葉っすね。
ここで、建築の話につなげたいと思う。
僕も、数年前までは、建築に携わるものとして環境についてどう考えていいか分からなかったんだ。
むしろ、省エネやSDGsという言葉があまりにも使われすぎていて、うさんくさいとまで思っていた。何か、かたちばかりで、本質的な何かを忘れているんじゃないか?それだけじゃ、建築が人間を不自由にしてしまうんじゃないか、とね。
そうっすね。
オノンさんの口から環境という言葉はあんまり聞いたことがなかったっす。
よく理解していないのに、「環境」という言葉を使うのは、何か自分に嘘をついている感じがして、使うことができなかったんだ。だけど、それではいけないと思いたち、事務所を自然の中に移転することで、まず生活の環境をかえてみた。そして、数年間じっくり考えてみた。
それこそ、環境に関わる思想書から、建築の実例、そして、建築環境工学などの理論書にいたるまで勉強しなおしてみたよ。そして、これまで説明してきたようなことが分かったとき、「環境」について考えることは、僕が学生の頃からずっと建築について考えてきたことと同じことだと気づいたんだ!
これまで考えてきたこと?
そう。
僕はこれまで、「人間を自由にする建築とはどういうものか?」を、もっというと「そこにいる人が、この世界で生きていてもいいんだ、と感じられるような建築とは何か?」をずっと考えてきたんだけど、「環境」について考えることは、それと同じだと気づいたんだ!
オノンさん、熱くなってきたっすね。
いい感じっす。
・・・・少し、冷静になろう。
つまり、建築を自然の中の調和・循環の中に位置づけること。これができれば、きっと生きていることを肯定できるような建築になると思うんだ。
そして、もし、そういうものがつくれたとしたら、きっとワクワクするような、躍動感のある建築になるだろうとね。
セムー!!!
何か、楽しそうっすね。
セムーも興奮してきたことだし、もう少し話を聞きたいっす。
建築を自然の中の調和・循環の中に位置づけること。これが次のステップです。
そのために、地球上で繰り広げられている循環とはどのようなものか、を知る必要があります。
循環とは異なる原理でまわっている現代社会の中で、これらについて考えることは簡単ではないですが、人類の長い歴史の中では当たり前のことで、そのための知恵も知識も蓄積されています。
実は、私が建築学科の学生だったころ、現代の建築がつくる環境に不自由さや息苦しさのようなものを感じていて、一生こういうものをつくり続けなければいけないのだとしたらとても耐えられない、と建築の道をあきらめようとしたことがあります。
結局は親に説得され、この道にしがみつくことになるのですが、その時には一般的な就職活動の時期は終わっていたため、ふらふらとさまようことになります。
そんな中で「人間を自由にする建築とはどういうものか?」を考えつづけるのですが、「環境」という言葉に対しては自分の中でうまく消化できずにいました。
それが、冒頭の「建築を自然の中の調和・循環の中に位置づけること」に気づいた時に、ようやく今まで考えてきたこととつながり、目の前の霧が晴れた気がしたのです。
このことを言葉だけで説明することは難しいのですが、この先の話を通じて少しづつお伝えできればと思っています。